(家族/神童/読書歴/ギンゴールド/インディアナ大学/師弟の絆/Living Legend/キャリア/彼 を語る言葉/性格/彼自身の言葉)

Biography       by  hebe

各種バイオグラフィーに載っている事柄以外に、記事などから分かったエピソードを幾つか織り込みました。



 家族
(family)
1967年12月9日、米国 中西部に位置するインディアナ州ブルーミントンに生まれました。
ジョシュア本人が、インタビュで、馬や鶏に囲まれた農場育ちと言っています。
父はスコットランド人とドイツ人の血を引く。
母はユダヤ系ロシア人でイスラエル育ち(母方の祖父は
サブラ(イスラエル生まれの人)

両親ともに、心理学者。
父親は、インディアナ大学の心理学者で、キンゼーレポートに関わった研究者の1人 でした。(2002年に他界。)
音楽好き一家。二人いる姉妹(姉のトビー、妹のレイチェル)はピアノ、チェロが得意。他に異母姉(テリー)。 
母親のシャーリー・ベルは、カール・ハースにピアノを習ったことがあります。ベルの父親は子どもの頃聖歌隊に入ろうかと思っていたこともあり、バイオリンが趣味で独学で弾いていました。
ベルは、自分が本当に幸せな子ども時代を送ったと述懐しています。

 


 神童(
a child prodigy):子ども時代
4歳の時、 タンスの取っ手に輪ゴムを張っ て、“引き出しを出し入れすることでゴムの張りを調節し”、母親の弾くピアノのメロディを爪弾きました。その時に、それらしいメロディを数節奏でたということです。その様子を両親に見つけられて、バイオリンを与えられました。
5歳から鈴木メソッドでバイオリンを始めました。
6歳のときに地元のオーケストラと初共演、曲はバッハの“2つのバイオリンのための協奏曲”。
相方は日本人の女の子でした。ベルは、その時の思い出を「全然あがらなかった」と語っています。
幼稚園のクラスでバイオリンをやっているという子の演奏を聞いて「自分の方がもっと上手く弾ける!」と思ったという、負けず嫌いです。
当時の 典型的なアメリカの子どもだそうで、コンピューターゲームに夢中になり、バスケをやり、10歳(1978年)
の時に国内のテニス大会で優勝。 小学生の頃はパソコンでプログラミングをしていたそうです。
「あの子はちょっと謎なところがあります。内気な子どもで、学校では物静かなリーダーでした。でもあの子は楽しみに夢中になり、率直になることができました。外交的ではありませんが、皆、どういうわけかあの子にひきつけられます。」(子どもの頃母親談07-4/8記事より)

8歳で、ミミ・ツワイグに師事、クロイチェル・エチュード(基本)に戻り、癖を徹底的に矯正されました。
ファミリーの音楽会には、親戚が必ず集まるなど、楽器をみんながたしなみ楽しむ環境でした。
「…ベルは、母と叔母、シャーリーとエステルが4本の手でピアノを演奏し、イーツ叔父がクラリネットを演奏したことも含めて、家族の音楽との繋がりを思い起こした。…」(エイブリフィッシャー賞を受けた時の記事より;07-4)
「もしバイオリンと出会っていなかったら?」という質問にベルは、医者か科学者になっていたと思うと答えています。いろいろな葛藤があったとは思うのですが、子どもの教育に熱心な典型的なユダヤ人の母親(ベル談)である母シャーリーと、心理学者としてそれを多分冷静に見て フォローしたであろう父親と本人の元々の性格とが、最終的には上手く作用したのではないでしょうか。
ベルの才能を親が見つけてから、彼がどのように育っていったか、育てられたかは、07年のBBCMusic Magazineのカバーストーリー(Article参照)に参考になる話が載っています。

 

 読書歴(First Book)
9歳の時に『ウォーターシップダウンのウサギたち』に出会う。登場キャラに夢中になり、読み終わってしまった時深い悲しみを感じた初めての物語で、それで読書にふけるようになり、指輪物語にも向かった… (first book 参照)

 


 生涯の師 (Josef Gingold)

11歳で、Meadowmount music campに出席した時に、ジョゼフ・ギンゴールド教授に出会いました。
著名なバイオリニストで昔風の教育者のギンゴールドが、たまたまベルの故郷のインディアナ大学で教えていたことも幸いして、 ギンゴールドに心酔したベルは、無理にお願いして週一回のレッスンを無料で受けることになりました。 ギンゴールドは、ベルの最愛の先生でよき助言者・師・祖父のような人でした。
12歳よりインディアナ大学音楽学部バイオリン科において,ギンゴールド教授の指導を受けました。
更にインディアナ大学に進み,ギンゴールド教授のもとで研鑽を積みました。
イヴァン・ガラミアン、ヘンリク・シェリングにもmusic campで少し
習った事があるようです が、ギンゴールドが生涯唯一といっていい師です。

 ギンゴールドについて: 1920年に ロシアからアメリカに移り住み、ニューヨークでウラディミル・グラフマンに師事。 1926年ニューヨークデビュー、その後ブリュッセルでイザイに師事。1938年から42年にかけて、プリムローズ・カルテット(ギンゴールド・シュムスキー・シャピロ・プリムローズ)を組んでい ました。  またNBC交響楽団の第一バイオリニストを皮切りに、デトロイト交響楽団、ジョージ・セルのクリーヴランド管弦楽団のコンサートマスターを歴任。 その後インディアナ大学の バイオリン科教授、 パリ音楽院のマスタークラスで教鞭を執りました。 桐朋学園客員教授も務めていました。
ギンゴールドは人一倍温かい音質とエレガントで気品のある演奏をし、決して下品にならないエロティシズムもあった、ボウイングで演奏するのではなく、心で バイオリンを奏でる演奏家だったそうです。(ハラルド・エッゲブレヒト著「Grube Geiger」参照)



ギンゴールド、ジョセフ
(Gingold、Josef)1909〜1995ロシア
 
巨匠の系譜
(ギンゴールドの系譜が辿れます・役に立ちました)

“Josef Gingold Master Teacher Series DVD Volume 2 ”  
(このDVD中では14歳のベルがギンゴールドにチャイコフスキーV協の指導を受けています)

 

 

 


 Bellの通ったインディアナ大学 ( his hometown & IU )
「私たち(IU)が4つの受賞すべてと繋がりがあると知るのは、スリリングなことです。それは 私たちがブルーミントンと呼ぶ、その芸術的な孵化器、人を育むコミュニティの不思議なのです」(インディアナ大学ジェイコブズ音楽学部部長グウィン・リチャーズがエイブリフィッシャー大賞と奨学金受賞について語った言葉07-4/8)
     
インディアナ州のブルーミントンは、2000年現在人口6万人強、人口の80パーセントが白人 だそうです。
“Bloomingtonは、1820年創立のゴシックなキャンパスを持つインディアナ大学を中心に発展した学生街の典型 。
街の2/3は学生と大学関係者だとか。学生街らしく安全で、自由な雰囲気がある所のようです。  

 


 堅い師弟の絆 (A teacher of a life)

ベルにとっては、 バイオリンを習いに、ギンゴールドの元に行くのは、自然な感じだったのではないでしょうか。 
ベルは、この町に生まれ、この町に暮らし、この町で生涯の師に教わり、この町で大学生活も送ったのです。
ベルは、IUでは父が教鞭をとっていて、ブルーミントンには今も母も姉妹も姉妹の子どもたちもいて、センチメンタルな思いがあると述べています。
ベル自身も来年(08年)から、IUの上級講師として名を連ねることになりました。ベルは以前から若い人と演奏したり、マスタークラスを行ったりするのが大好きで、今までもそういう機会を多く設けてきた人です。(シャーリー・ベル談07’4/8Article参照)

ギンゴールドには、ベルを教えることは、喜びだったのではないかと勝手に思っています。 自分が敬愛するクライスラーを弾きこなす素質!に巡り合えた…(上に挙げたマスターシリーズのDVDには嬉しそうにベルの演奏を聴いているギンゴールドの姿が映っています)
クライスラーアルバムのライナーノートで、ベルはこう語っています。
“彼が1995年1月に85歳で亡くなった時、私は先輩を、友人を、そして“お爺ちゃん”を同時に失いました。<小林誠一氏訳>”
この言葉を読んだ時、私は二人の素晴らしい師弟愛と、きっと暖かくも一徹なところがあったのではと思える師ギンゴールドとの交流、 ベル自身のおそらく素直で率直な性格、そんなものが胸を去来し、 二人が出会ったことが、それぞれの人生にどんな意味を与えたのか、いつも思い描いています。 ブルーミントンで、素敵な子弟の絆が結ばれたのです! ギンゴールドとの出会い・関係については、
Articles1のBel Canto(88年4月)、Flying High Adored(99年5月)などに出ています。

1995年のNew Year's Dayに、ベルは、ブルーミントンの先生の自宅を訊ね、その日の午後を二人でずっと過して、あらゆることを話し合ったそうです。その翌日に、ギンゴールド先生が心臓発作を起こし、そのまま入院の後、帰らぬ人となったことが“VIOLIN Virtuosos”(BOOKS参照のこと)という本に出ています。
少し引用します。 そのことに思い致すと、“
胸が締め付けられるような感覚”だと言います。
「私たちは午後中を一緒に過ごし、ありとあらゆることを話し合いました。 彼は、アドバイスと音楽と私が頼むつもりだった自身のサイン入りの写真をくれたのです。 彼を見たのはそれが、最後でした。 …その次の日に、彼は心臓発作を起こし入院したのです。」
「彼は私の助言者であり、殆ど祖父のような存在でした。 彼に代わる人は、私には、いません。」

08年から、母校の上級講師として、教壇に立つベルですが、ギンゴールドの志を継いで、学生たちに手渡して生きたいと考えています。
「私は、彼(ギンゴールド先生)が私に与えてくれたものを返したいと、いつも感じていました、それは別の状況では知ることのなかった世界と繋がっています。彼はイザイの弟子でした、彼はクライスラーとハイフェッツとエルマンを知っていました、そしてその世代を私に繋げてくれました。」

※ベルは、いつも話をする時には、ことある毎に恩師の名前を口にし、敬愛の念を表しています。
 また、ベルは、自分の一人息子に、恩師の名前をとって、“ ジョセフ ” と名づけています。

BBC Music Magazine(2001) によると、「クライスラーの弟子に教わったという特別の名誉に対する強烈な自覚」、「興行上の成功でなく、本物の音楽家だという音楽家たろうとする決心」が感じられるということですが、それは、まさにギンゴールド先生との16年間の 交流で培われた思いだと感じます。

 


 著名な卒業生(Amazinng  Alumini)大学の公式サイト より)
世界的に著名なヴァイオリニストであり 映画スターのような容姿も持つ。
ジョシュアベルの演奏と魅力的な風貌は、コンサート以外の場所でも、人気と称賛をもたらした。
ピープル誌は、彼を「世界で最も美しい50人」のうちの一人と呼び、グラマー誌は、彼を「6人のミレニアムの男性」のうちの一人に選んだ。 ベルはトゥナイトショー、コナンオブライエンと一緒のレイトナイト、チャーリーローズ、CNNなど多くの番組とドキュメンタリーに出演している。 
世界中で主要なオーケストラとコンサートを行うほかに、クラシックのレパートリーを越えた音楽のスタイルを切り開いた。

 「West Side Story Suite」やベーシストで仲間の同窓生のエドガーマイヤーと組んだグラミー賞候補に挙げられたブルーグラスアルバム「Short Trip Home」はそのような試みの一つ。
“Red Violin”と“ラベンダーの庭で”の 映画音楽を演奏。 N.モウのヴァイオリン・コンチェルトのCDで、グラミー賞を授与された。 2000年に
“(Hoosier ) Indiana Living Legend”を受賞。

 “(Hoosier) Indiana Living Legend”について
the Indiana Historical. Societyが毎年、インデ ィアナ生まれの優れた足跡を残した人物を受賞者として選出。
 “Indiana Legends: Famous Hoosiers from Johnny Appleseed to David Letterman (Indiana) (Hardcover)(by Nelson Price)という本の233ページにベルが紹介されています。
(表紙の真ん中の写真はベルです)

 




 神童から真のヴィルトオーソへ

ベルの母シャーリーは(07年 の)インタビュで亡くなった夫と自分は、「ジョシュのキャリアがどのように形成されていったかわからない」と言っています。それほど忙しい…デビュー以来25年、年間 200日あまりをかけて世界各地での120回以上のツアーをこなし、ボランティア公演やCDの録音、 テレビやラジオの番組出演、各種インタビュー、作曲、編曲、MITの研究者、ロイヤルアカデミーの客員教授、各地で行うマスタークラスやその他 諸々…新曲の練習… その上、ストレスが溜まるというゴルフが趣味の一つです。

 主なキャリア(His career)

ジュリウス・スタンバーグ・ストリング・オーディションや第1回セブンティーン誌&GM 共催全米音楽コンクールなど幾つかのコンクールで優勝している。 
14歳 :定期演奏会で演奏した最年少バイオリニストとしてリッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア交響楽団と共演(モーツァルト: バイオリン協奏曲)

17歳:レナード・スラトキン指揮セントルイス交響楽団とカーネギーホール・デビュー 、 同楽団の欧州演奏旅行にソリストとして同行
18歳:1985年12月 英DECCA/LONDONと10年間の独占録音契約を結 ぶ
    ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団とのコンチェルト
    イツァーク・パールマンの伴奏者として有名なサミュエル・サンダースのピアノによる小品集を発表

18歳:
1986年,エイヴリー・フィッシャー奨学金受賞。
20歳:1987年,A.ドラティ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と共演,イギリス・デビュー。 1月に初来日。
    メニューインの招待によりメリーランド大学で開催された第1回全米ヴァイオリン会議に演奏者及びシンポジウムのパネリストとして参加。

21歳:1989年 インディアナ大学バイオリン科でArtist Diploma(学位)を授与される。
    
1990〜91年,日本を含むアジア・ツアーを行う。1990年の「音楽の友」11月号表紙を飾る
23歳:1991年 優れた業績を残したIU同窓生へのAlumni Service Awardを卒業2年後に受賞
26歳:1994年,3度目の来日
28歳:1996年,4度目の来日。N響と初共演
30歳:グラモフォン賞(1998年にBarber: Violin Concerto・Bloch: Baal Shem・Walton: Violin Concerto”で協奏曲賞を受賞)
    この年ソニーに移籍
32歳:Indiana Living Legendを2000年に受賞。知事芸術賞the Indiana Governor’s Arts Awardを授与される
    
マーキュリー音楽賞(英国の音楽賞、全ジャンルが対象。2000年にニコラス・モウの バイオリン協奏曲が受賞)
33歳:2001年 the Deutsche Phono-Akademie.が選定するEcho Klassik Awardをシベリウスとゴルドマルクの協奏曲CDで受賞
   
2001年 ニコラスモーの バイオリン協奏曲でグラミー賞を受賞(“Gershwin Fantasy と “Short Trip Home”がノミネートされる
34歳:2002年 エミー賞にセントラルパークで 行ったウエストサイドストーリー組曲の演奏がノミネートされる  
36歳:2004年 ビルボード誌の  the2004Classical Artist of the Year” となる
37歳:2005年 ハリウッドボウル栄誉の殿堂入りthe Hollywood Bowl Hall of Fame
    
2005年6月 来日 オルフェウス楽団と共演、ベートーヴェンV協を弾き振り
39歳:
2007年 1月ワシントンポストの求めで地下鉄駅でストリートミュジシャンを演じ話題となる
   
4月 エイブリフィッシャー賞受賞
   9月BBSのプロムスラストナイトコンサートに出演
2008年より母校IUのジェイコブス音楽学部の教員となる
現在ベルは、the Artist Committee of the Kennedy Center Honorsの委員を務めている



  クラシック音楽のスーパースター


キャリアと 彼を語るいろいろな言葉
 
ベルは20年以上、詩的な音楽的才能で世界中で観衆を魅了し、確かな歩みと多彩な経歴で音楽の世界において個性的な存在を確かなものにしてきました。30代の終わりを迎えているベルの活動は驚くほど多彩で、ソリスト、室内楽奏者、指揮者として活動し、どれにも精通してい ます。尽きることのない好奇心と多面的な音楽への関心は、常に新しい方向へと彼を向かわせてきました。それが「クラシック音楽のスーパースター」という珍しいタイトルを彼に与えることになりました。

デビュー以来、世界の主要オーケストラとC.デュトワ、ジェームズレバイン、フランツヴェルザーメスト、ウラジーミルアシュケナージとH・ブロムシュテット、エッシェンバッハ、J.E.ガードナー、E.インバル,L.マゼール,A.プレヴィン,M.T.トーマスなどの主要指揮者との共演を重ねてき ました。
毎年120回にも及ぶコンサートやリサイタルのツァーを世界中で重ねています。
また業績のひとつとして、バイオリンコンチェルトのカデンツァを自分で作曲していることが上げられ、オペラ曲などをバイオリン用に編曲する仕事も行ってい ます。
ヴェルビエ(スイス)、モストリー・モーツァルト(リンカーンセンター)、マルボロ、スポート(米・伊)、タングルウッド、ヴォルフ・トラップ、ハリウッド・ボウル、エディンバラなど毎年数多くの音楽祭に顔を出してい ます。

19歳で最初のCDを出して以来、ベルは特徴のある幅の広い一連のクラシック曲のCDを30以上もリリースしました。
クラシック・アーティスト以外にも、スティング、ジョシュ・グローバン、ボビー・マクファリン、チック・コリア、ジェームス・テイラー、ラビ・シャンカールなどとも共演してい ます 。

映画音楽にも手を染め、
芸術コンサルタントとボディダブルまで務めた Red ViolinのほかLadies in Lavender とアカデミー賞受賞をしたIrisなどで演奏。
またMusic of the Heartには本人役で顔を覗かせています。
コナンオブライエンのLate Night、The Tonight Show、CBSの “Sunday Morning”同じくCBSのSaturday show “Second Cup Café”のほか、the PBS programs Great Performances(ウエストサイドストーリー組曲のセントラルパークでの野外コンサートの放映)、リンカーンセンターのペントハウスでのライブ、メモリアルディ・コンサート、セサミストリート出演、テレビインタビューのA&E’s Biographyへの出演。
VH1でミュージックビデオをオンエアした初めてのクラシックアーティストでもあり、BBC オムニバスドキュメンタリーの主役にもなりました。
ニューズウィーク誌からピープル誌の50 Most Beautiful People まで、幅広く出版の世界でもプロフィールが紹介されました。

・グラムフォン誌は “ベルはまばゆいばかりだ(Bell is dazzling.)”と、簡単明瞭に述べています
・またニューズウィーク誌は“No one stands in Mr. Bell’s shadow.”と述べ ています。

・オスカーのレコーデイング部門で、コリリャーノが作曲賞を受賞、彼はスピーチで、述べ ました。「…しかし、誰かが神のようにそれらを演奏しなければ、その楽譜はそのようにを音を出すことはない…ジョシュア・ベルは神のようにそれを演奏した。ありがとう、ジョシュ。」

・レディス・イン・ラベンダーのライナーノートで作曲家のナイジェル・ヘスは述べています。
「この映画の仕事に関わって最高だったことの1つは、有名なヴァイオリニスト、ジョシュア・ベルの演奏。ベルは私が書いた音楽を全く新しいレベルにまで高めてくれた。彼の演奏を聴くのはとてつもなく高価なロールスロイスに乗り込むような気分だった。」

・ニコラス・モーのバイオリン協奏曲のライナーノートによれば
「彼(モー)がヴァイオリン協奏曲を書こうと思い立ったのはもう何年も前のことだが、彼がいよいよ作曲すべき時が来たことを知ったのは、ジョシュア・ベルの演奏を聴き、この曲にふさわしいソリストを発見したのを彼が確信した時だった(…略…「ジョシュアベルって聴いたことがあるかい?彼は本物だよ。本物のロマンティックなソリストだよ。」)    

 



 性格(individuality)

見た目は童顔?で、若く見られるけれど、音楽に関しては年よりもずっと老成している人です。
「彼はナチュラルだ。」

「彼はティーンエイジャーのように見える。だが…弓をひと弾きすると、さっと奏でられる魔法によりやっと抜け出した、いにしえの霊魂のように演奏をするのだ。」 (01年Wildnet Magazineより)

「オフステージでも、ベルは知性と知恵と落ち着きという滅多にない調和を見せている。彼は人が知り合いになりたいと思うような人間である。多分そういうわけで、彼が演奏するのを聞くのはライブだろうとCDだろうと、いつも喜びを与える。圧倒的なテクニックと甘美な音色のその先に、ベルは常に彼自身の何かを伝えている。聞く人は芸術を動かす心(mind)と魂(soul)をすぐに感じる。」(98’9/10
The Detroit Newsより

…普段はshyでも、音楽に関してはshyでない…
ベルという人を表すのに、記事ではよく”shy”という言葉が 使われています。(shyとは、辞書によると、はにかみとか、人前できまり悪がるとか臆病とかいうのではなく、人との接触を避けようとする性格を示唆するそうです。)
バージニア・シンフォニーの音楽監督ファレッタ氏の言葉は、多くの記事に出てくるベルのイメージをよく表しているように思えます。
「テクニックの上での本当の完璧さとパフォーマンスで示す強烈さ 」
「落ち着きがある人間で、控えめで、穏やかな話し方をして、シャイな感じがするけれど、演奏する時は、何もためらわない」
「彼の情熱は深い内部から出ていて…彼は他の人々の時間に気づくことさえないように思える…超自然的な繋がりが存在するように思え…本当におびえさせるような情熱で彼はどこか他に行く…」 (07’10/4article5)

自分自身が一番厳しい批評家で、他人の批評に影響されることはない」
「自分がやる全てのことに正直なこと ― それが演奏する上で最も重要なことなのです」
「ギンゴールド先生は、音楽は、人の胸と心からじかに生じるべきものだと、正直と誠実の大切さを教えてくれました。」

「子どもの頃、全てのことを、本気でやっていました。バスケットボールでゴールを決めたことがありますが、30回続けてフリースローを命中させなければならないというように、一日中というか一晩中、それが出来るまで外にいたと思います。」(Swing Magazine,  '972月号)

シューテイングゲーム、テニス、ゴルフ、ボーリング、ビリヤード…なんでもこな してしまうベルですが、記事によると、小さい頃より、何か興味を持ったことに取り掛かると、夢中になり、マスターし てしまい、別のものに向かうところがあったようです。
(円盤をぶつける)お弾き飛ばし、虫取り、ルービックキューブ…。
バイオリンだけは、追求するものが次々と見つかり、ずっと続けてきたということです。 (BBCMusic magazine参照)

ビデオゲームについては、公式サイトに、“クリスタルカリバーン”というゲームでダントツの成績で(世界一?に)なったことが出ていましたが、
VIOLIN Virtuosos”という本(インタビューをまとめたもの)にそのことで、負けず嫌いな彼の一面を覗かせる面白い記事が出ていました。
1番だったが、ある日、抜かれたのを知って、再度ダントツのスコアで奪還した という…

 PERSONAL( 新旧公式 サイトから)
公演先で暇な時、家族や友人がいれば一緒にぶらつく/ 
気に入ってるテレビ出演番組はセサミストリート/
音楽の上で最もユニークな体験は、ヴェルビエ音楽祭でのボビー・マクファーレンとチック・コリアとの即興演奏/
音楽以外の最もユニークな体験はthe Sun Valley Summer Symphonyとの演奏前にやったパラグライダー/ 
興味深いプロジェクトは、MIT(助教授)でやっているハイパーヴァイオリンの開発研究への参加/
音楽以外での好成績は、
インディアナ州のジュニアテニス大会9-10歳の部で優勝・
1996年にコンピューターゲームのクリスタルカリバーンで4,432,143,360点でウインドウズ、3,492,645,580点でマッキントッシュの世界チャンピオンになった・
クラシカル・アクションのチャリテイ・ボーリング大会で228のスコアをマークし、Highest Individual Bowling Score賞を受賞など/

2001年8月のクイズ番組で、<ジョシュアベルは何の楽器のヴィルトオーソとして知られているか >という質問に、“友人に電話で相談”して正解を教えてもらった解答者が32000ドルの賞金を手にした/
どんなクラシック作品にインスピレーションを受けるか…カルロス・クライバー指揮のベートーヴェン交響曲第7番とヤッシュ・ハイフェッツ演奏のマックス・ブルッフのスコットランド幻想曲/
好きなコンサート会場は Wigmore Hall(ロンドン)・Carnegie Hall(カーネギーホール) ・Musikverein(ウィーンフィルの本拠地)・ Concertgebouw(アムステルダム)他/

バイオグラフィー(Sony  / Sony BMG/IMG Artist  / Royal Academy(写真) / msn music / IMDb)(日本の老舗ファンサイト そのほか記事参照)

(文及びイラスト へべ )

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